小さな現実の大きかろうな動きが怖くてね。

  なんか、「はてなダイアリ」の仕様が変更したみたい。カラフルでいいけど、書きづらいや。今日も、↓の続きか因縁か、風向きかで、私の←斜めのおじさんに爆弾が炸裂した。これは、ケッコウ大きいと思う。で、会社はドタバタしていて、私もドタバタしていたけど、心は意外と穏やかだった。右の姉さんと、阿呆な話をしたりして。で、夜は帰りにくかったけど、抜け出して退社。本当は、黒ビールをセブンイレブンで購入して、イロエロと考えに耽ったり、本を読んだりしたいと思っていたのだけど、思うところがあって、昔よく通っていた行きつけの飲み屋に久しぶりに顔を出した。二ヶ月ぶりくらいかな?いや、一ヶ月ぶりくらいか。店員さんは相変わらずのおばさんで、べつにおばさんだからドウだってわけではないのだけど、以前は、香水の臭いがたまらなくてイヤだったけど、今日は普通のおばさんに様変わりしていた(オバサン二人は同一人物)。

  久しぶりにテンチョウと話をした。かれは、ブロードバンド付属?のマンションに住んでいて、インターネットが使い放題だそうな。でも、ヤフーは知っているけど、知りたい情報を検索しても中々引っかからなくてイライラして、ついついテレビを見てしまうらしい。ネットに中毒している自分だから、彼の行動を批判するわけではない。ただ、率直に思ったのは、ネットってそれほどまでには勢いがないのじゃないのかなあ、っていうこと。web2.0が死に体の悶絶状態であることは、ある程度の人が感じていることだと思うけれども、そもそもweb2.0という言葉自体を知っている人って、極めて極めて少ないのではと思った。web2.0がカネに結び付くのは難しいよ、ということは、ネット上のエライ人が各地で言っているけれども、そもそもweb2.0に到達していないのが現実世界じゃないのかな。皮肉ではなくて。幻想を幻想として弄んで、満足しているというのがweb2.0の現状じゃないかと思った。このことについては、どうでもいいと思っている。

  気になるのは、ブログ・ジャーナリズムという念仏。現実に近いだけあって、ネット層は非常に小さいというのはわかったけれども、怖い。私は、保守的(右や左ではなくて頭が古いという意味)なので、新聞とか書物とかに重きを置く人間。だけど、だからか、ネット上の言説には、「ふうん」程度の感慨しか、基本的に覚えない。しかし、これが新世代の経済風味でいうところの「新自由主義者」な二十代の人々が、真に受けてケッタイなネット上の言説を吸収して、それが大勢になった頃には、自分は、隠遁生活を送っているだろうよね、と思いながらもイヤだ。それに近い、活動が起こっていたことが判り(正確に言うと感じられ)、「ことのは騒動」から離れられない理由。ゴシップなら、ゴシップで終わってくれれば良かったのだけど、食いつきの良い私に対して、あまりにも燃料が投下されすぎたと思う。飽きてきた頃に「燃料投下」、それも飽きてきた頃に「燃料投下」・・・。これも全て仏さんの掌で踊らされているのかな?とも思う。