考察:翻訳について①〜ピストルズがカノンでハヂけてみると・・・
「翻訳」について、感銘深き文章に続けて出会いました。
一つ目は、巷を席捲するフリーペーパーの一つR25の「しごとの手帖」という記事で、翻訳家の都甲幸治氏(不勉強なので知らない人です・・・)のインタビュウ記事です。都甲先生曰く、
>翻訳家を説明するには、クラシックの演奏家に例えるとわかりやすいですね。
>同じ楽譜を再現しても、その解釈によって演奏の味わいが変わるでしょう。
ふむふむ。言われてみれば、膝をポンッと打ちたくなるほどの直球ストレート勝負です。たしかに、翻訳とは、一つのテクストが厳然と存在し、それを言語的に置き換えるという作業。「言い得て妙でアル!」という、ヒネリ後、着地の快感はないけれども、ディス・イズ・ホンヤクという正当なる主張に、私は大きく頷いたものであります。
そして二つ目。「本の雑誌2005年9月号」の「翻訳文学ブックカフェ場外乱闘版」における高橋源一郎氏の発言。
>藤本さんのブローディガンは反則ですね。
>もちろん原文も読みましたが、はっきり言って翻訳のほうが原著よりも素晴らしい。
この域に達してしまうと「翻訳」という行為を超えたテクスト破壊ですね。テクスト=ベートーベンを論じるに、「フルトヴェングラーの至福の境地を知るがよい!」、「いやいや、なんのクナッパーツブッシュの巧みの至芸を知らいでか!」という土俵を越えて、レッド・ツェッペリンが歓喜の歌を奏するシュール・リアリズム、あるいは、セックス・ピストルズが、パッフェルベル「カノン」をビンビンに演奏しながら、パンキッシュに「デストローイ!」と叫ぶオカルト現象でありましょうか?
話がくどくてすみません。
話を戻すと、「翻訳のほうが原著よりも素晴らしい」という翻訳物。こんな作品を読める読者は、幸せ者ですね。もちろん、文体その他に対する嗜好は人それぞれですが、素晴らしい海外作品を読むことが出来た!と感じた時には、翻訳についても考えてみるとおもしろいと思いますよ。
次回は、私の「幸せ体験」と「不幸せな体験」について語りたいと思います。
p.s.
現在、読み進んでいる海外小説。
これが息を吐かせずのおもしろさです。
果たして、このおもしろさが、原著に由来するのか、
はたまた翻訳に由来するのか?ちょこっと気になる私です。