社会:戦いの行方を離れて、その二〜リストラ戦役。

安定株主が見直されている、という話の続きです。

 まず安定株主とは何でしょうか?広辞苑を引くと「会社の業績や株価の動向に左右されずに、長い期間株式を安定的に継続保有する株主。関係金融機関など。」と定義されています。力強いですね。発行体である企業の業績にこだわらずしっかりと保有してくれる株主です。
 手元のアンチョコ歴史本を紐解くと、戦後GHQによる財閥解体で株式の分散化が進んでいたが、1950年代に独禁法が改正され、1964年OECD加盟を契機に資本の自由化が脳内脅威となり、外国資本の来襲に備えて企業間での株式持合いが進行した、とのことであります。更に、1980年代になると、低金利を背景に企業の投資意欲が旺盛になり新株式発行を伴うエクイティファイナンスが頻繁に行われだのでアリます。新しく発行される株式は、バブルでお金が余っているが投資先に困っている企業が引き受けます。株価は右肩上がりの時代ですから、引き受けた企業も美味しい、お金を調達した企業も海外でビルや土地を買い漁って美味しい。みんな美味しく嬉しい時代だったようです。
 そんな美味しい食卓も永遠には続きません。バブルの崩壊で株価は下落してしまいます。しかし「株価の動向に左右されない」安定株主さんは、まだ頑張ります。購入した値段よりも株価が下がったとしても、売却しなければ損が表面化しないという天晴れな会計制度にも支えられて、安定株主、頑張ります。
 1997年、大きな転機を迎えます。大蔵省が中心となって、日本版ビッグバン(金融大改革)の一環として、時価会計へ向けて商法の見直しに着手したのです。時価会計とは、売却しないから表に出ない含み損も晒してしまおうゼ!という会計制度です。堆積した含み損を抱えた企業は大慌てです。一度に市場で売却してしまうと、ただでさえバブル後最安値を更新している指標株価は大幅に下落してしまいます。そこで、1997年11月、制度として立会外取引が始まり、価格インパクトを吸収した取引制度が出来上がりました。役人さんGJ!でしょう。
 しかし、折りしも金融危機が忍び寄ってきていました。11月3日に「東洋一のトレーディングルーム」を誇った三洋証券に始まり、17日に八大都市銀行北海道拓殖銀行、24日に四大証券の一角山一證券と毎週のように大きな金融機関が倒産していきます。
このような金融危機戒厳令下では、銀行を中心とする企業グループというのは、夢幻の産物となってしまったのです。企業や銀行は、取引先との関係あるいは系列なんてな「情」に棹している場合ではないと、なりふり構わず保有株式の売却を進めます。リストラクチャリング(事業の再構築)の嵐です。再構築という錦の大義名分ではありますが、実態は保有資産を売却し、保有人員を削減する再構築一色となっていきます。言葉は独り歩きを始めて、リストラといえば「人員削減=解雇」という物言いすら跳梁跋扈してしまいます。ここに、古き良き日本的経営の権化である株式持合い制度、終身雇用制度が、儚くも一夜の夢と崩れ落ちてしまったのです。
 
 そして現在。
 特殊な事情はあるにせよ、フジテレビは取引先等50社に対して、自社株取得を要請しているとのことです。事態は、コストカッティングが一回りしての志新たかな攻撃的前進なのか、はたまた緊急避難的ノスタルジックな退行なのか、十年後くらい経ってから、振り返ってみたいものですね。


p.s.
今回の騒動の発端となったライブドアによるニッポン放送株大量取得。
その先制攻撃手段として用いられた立会外取引が1997年に開始されました。
ライブドアが、最終的に狙っていると巷間囁かれているフジテレビ。
そのフジテレビ株が上場して市場の脅威にさらされることになったのも同じく1997年です。不思議な巡り合わせです。因果は巡るということでしょうか。