文章術のリンクから思うこと。

  1. ポール・グレアム「文章術・簡易版」
  2. 小説のようなモノの書き方

  はてなブックマークで話題になっていた二つのエントリ。1.は読んだ。2.は入り口だけ読んだ。1.から、いくつか思ったことを書いてみよう。

  • スクリーンを眺めていないで、原稿をプリントアウトしろ
  • 触れたいと思う話題のメモをファイルしておけ
  • 下手なバージョン1をできるだけ速く書く

  「プリントアウトしろ」には大賛成。プリントアウトして、読みながら、修正を加えていく。次に引用する「声に出して読み」に近い感覚かな。読むという行為は、ディスプレよりも紙がふさわしい気がする。あと、読む対象物への物理的な首の角度とかも関係あるかな?

  「メモをファイル」は、紙切れに書くのがいいのかもね。紙切れ。並び替えやら、なんやらが簡単にできる。私は、手帳に書き殴っているので、たしかに融通がきかないなあ、と思うときがある。

  「下手なバージョン」。これは、いつも痛切に感じていること。なにはともあれ、最後まで書き上げること。頭の中では、最後まで論旨が一貫しているのだけど、それと文字にすることは違う。文字にすることを中断して、再開すると必ず、断層が出来る。もちろん、その後の推敲課程である程度、軌道回帰することは可能であるけれども。最近では、ブログに公開するときは、テキストファイルとダミーブログをAlt+Tabキーで往復して、ダミー画面を見ながら、テキストファイルを更新・修正して、最終的に同軌を取るという風にしている(半分くらいのエントリ・・・)。

エッセイを声に出して読み、(a) つっかえる回りくどい言い回しや、(b) 退屈な部分(読むとすっごくつまらないパラグラフ)を見つけだせ

  エッセイに限らず、私の書くようなクソエントリでも同様。「声に出して読みたい日本語」って言葉が独り歩きして、ヘンなことになっているが、声に出して読むに値する文章というのは正論。従って、声に出して読むまでしなくても、「文章を読む」こと、頭の中でも良いから。このとき、前述のプリントアウトは有効だ。

  
  他に気が付いたこと。ブログ特性である、引用の囲み。エントリの中で、この役割は非常に大きいと思う。アクセントであり、読み手にとって句読点の親玉のような感覚転換符号。これは、本格的に文筆業を目指す人間(とくに評論方面)は、慣れてしまうと辛いのではないかな。

  プリントアウト&声に出す、と似ていることだけど、紆余曲折の最終バージョンをプリントアウトして、再度タイピングするというのも有効かもしれない。タイプすることで、読むことを補強するから(高速タイピストは除く)。いや、逆にリズムを崩してしまうかな?これは、ちょっと留保。