テキスト文明

  今年は2005年。***5年には、エポックメイキングなことが起こるとよく言われる。1985年は、阪神優勝THE BLUE HEARTS結成以外にも、たしかなんかあったし、1995年は、windows95の発売→パソコンの普及があった。そして2005年。キーワードは、たくさんある。同時代性だから故のキーワードなのかもしれないが、自由民主党の歴史的圧勝、マンション偽造事件による政局の狼煙、個人的には、なによりもブログの普及に伴うテキスト文化の復権
  日本人は、つくづく議論が好きな国民性を有していると思った。ブログでブログというツールの在り様を語る、というメタ文化まで、一足飛びにやってきた。ホームページ時代にホームページ語りが、かくも多く存在したのだろうか?あるいは、マンションブログに代表される、オープンソース・ジャーナリズムの勃興。ところで、「きっこの日記」のきっこって、*谷**じゃないのかね?
  ブログからブログへのリンク(環)は、無限だ。エントリにコメントをつける→賛同、反論が数限りなく発生する。

  テレビすら見ない若者がいるということが謳われる。テレビ→ネット(テキスト文化)への移行。好意的に謳われるのではなく、批判的な論調が多い。なぜか?ネット社会という閉鎖空間だからだ。テレビは、同時的に複数人で共有するメディアであるから優れている。ネットは、自分独りでみるもの。後者は、そのとおりだ。集団で同じ画面を眺めているテンキョウはなかろう。非常に分りやすい批判材料だ。しかし、「善の研究」を同時的多数で読むことはないだろ?という原初的な書物の置き方が難しい。
  ちょっとヒネる批判だと、多分、ネットの情報は本当に正しいのか、というか議論そのものの方向性が正しいのであろうか?という見方もあろう。なにしろ、独りで眺めるモニターで議論する。ナンジャコリャ?な世界であろう。これも的を射た批判だと思う。

  で、なにが言いたいかというと、批判はあれど、みんな文字文化が好きなんじゃね?ってこと。映像なんてかったるいじゃん!それが顕現されたのが2005年なのじゃないかな、って思う。ブログ=ちょっと知的な雰囲気の読み物、という捉え方をボンヤリ考えていたこともあるけど、実際は、映像ってかったるいな、ってことなんじゃないかなっていうプリミティブなところに真理があるのでは。

  機会があったら整理したい。

p.s.
1985年は、プラザ合意だ。はてなキーワードはとても便利だね。1945年、1955年、1965年、1975年、、、、うむ、たしかにエポックだ。