amazonの後頭部

  ようやく仕事納め。今日は、なんだか疲れた。流れ解散だったので、会社を飛び出して、大手町の丸善に立ち寄った。甥っ子、姪っ子へのお年玉ということで、絵本を買おうとも思っていたのだけど、思考能力が低下していて、良さそうな本がわからず断念した。
  自分用に、年末年始に読もうと思った本を会社でリストアップしておいたので、それをトコトコと買い込む。こういうときに、売り場検索が可能である丸善は便利だ(書名を機械に入力すると、場所と場所の番号記号が表示され、印刷することも可能)。amazonとかではなく、現場に来ると他にも魅力的な本が泉のように湧き出る、という理想系からは、丸善の暖房が暑苦しくてたまらなく、amazonを現場に移設しただけのような空間設定をなんとかして欲しいといつものように思った。
  でも、一応現場ということで、貰ったピアノを練習するための楽譜を買おうと閃いたのは、さすが現場。一冊購入した。これで、イマジンや空も飛べるはず(?)、大きなフル時計を弾けるようになることを期待。
  不思議に思ったこと。レジカウンターに年末だけあって、人が大量に並んでいたのを見て、活字文化の衰退の真偽を疑ったあとに、居並ぶ人々すべてが、当たり前ながら、小脇に買うべき本を抱えているのに、誰一人として読みながら時間を待つことをしていないということ。全員が、呆然と中空に目を泳がせているというのは、比喩的表現で、実際には前の人の後頭部から頂頭部にかけてを漫然と見ている。活字文化の衰退ウンヌンよりも怖いと思った。


  帰りに中華料理屋で飯を食う。隣のテーブルに母親と二人の男の子が席についていたけど、今晩くらいに単身赴任のお父さんと合流するのかな、ああ年の瀬だと思った。